とても大切な人が
理不尽な目に遭ったことを知る。
かつての私なら
一も二もなく
すぐに安心できる状況に変わるよう
必死でエネルギーを送り続けた。
その人を救いたい!
根底にあったのはその想い。
手を貸さないのは
冷たい人だと思っていた。
だから自分ができることなら
何でもしようと思ってた。
その結果
時折感謝されても来た。
でもあるとき、ふと気がついた。
これを繰り返しているうちは
依存者を生み出してしまう。
問題なのは、相手ではなく
私のなかにある
「頼られる=自分の存在意義」
(自分がここにいていいんだ)という
安心感を得るために
気がつかずに
自らが呼び寄せていたということ。
これでは歪んだ関係を
作ってしまうことに気がついた。
あれから年月が経ち
いまは違った形の応援を
贈れるようになった。
根底にあるのは
かつてと同じ。
困っている人の力になりたい!
でも、いまの私は
愛を持って見守ることに徹している。
その人たちが持ってきた課題に
勝手に修正を加えたりしないという
大事なルールを
心にしっかり置きながら。
信頼する。
応援する。
尊重する。
その方々が
乗り越えるだけの力を
持っている魂だということを思い出す。
見守り続けている以上
そこには確かな愛のエネルギーは
送り続けられていると信じて。
見えなくても会えなくても
一緒にそばにいるからね。
ひとりではないからね。
そんなことを想いながら。
理不尽な目に遭ったことを知る。
かつての私なら
一も二もなく
すぐに安心できる状況に変わるよう
必死でエネルギーを送り続けた。
その人を救いたい!
根底にあったのはその想い。
手を貸さないのは
冷たい人だと思っていた。
だから自分ができることなら
何でもしようと思ってた。
その結果
時折感謝されても来た。
でもあるとき、ふと気がついた。
これを繰り返しているうちは
依存者を生み出してしまう。
問題なのは、相手ではなく
私のなかにある
「頼られる=自分の存在意義」
(自分がここにいていいんだ)という
安心感を得るために
気がつかずに
自らが呼び寄せていたということ。
これでは歪んだ関係を
作ってしまうことに気がついた。
あれから年月が経ち
いまは違った形の応援を
贈れるようになった。
根底にあるのは
かつてと同じ。
困っている人の力になりたい!
でも、いまの私は
愛を持って見守ることに徹している。
その人たちが持ってきた課題に
勝手に修正を加えたりしないという
大事なルールを
心にしっかり置きながら。
信頼する。
応援する。
尊重する。
その方々が
乗り越えるだけの力を
持っている魂だということを思い出す。
見守り続けている以上
そこには確かな愛のエネルギーは
送り続けられていると信じて。
見えなくても会えなくても
一緒にそばにいるからね。
ひとりではないからね。
そんなことを想いながら。