思い出を追体験するように
ゆっくり時間をかけながら
綴ってきた旅のお話ですが
それも今回でいよいよ最終回です。
最終回なので
今回のブログは少々ボリュームをもたせますので
お時間があるときにでも読んでくださいね。
では、行きます~

パリで訪れたある場所。
それは
「奇跡のメダイ教会」でした。
帰国して調べてみると
前に訪れたのは
ちょうど10年前でした。
その時の印象は
礼拝堂が狭い。
予算がないのか全体的に古びて、薄暗い。
質素な服をまとった黒人女性が
数人いて祈りを捧げていた。
手で触れられるほどの間近の距離で
聖カタリナ・ラブレのご遺体が見れた。
礼拝堂のなかは薄暗さもあって
全体的にセピア色の感じでした。
そして、目立たずに
ひっそりした佇まいだったことを覚えています。
でも、そこが安心感を与えてくれて
落ち着いたんです。
華美な礼拝堂よりも
質素なものの方が
個人的には好きなので。
古いセピア写真を見たときのような
温かく、なつかしい世界に
もう一度浸りたくて
今回また訪れることにしたのです。
老舗デパートボンマルシェの裏通り。
記憶をたどりながら
歩いていくと・・・
あった!
見つけた!

神社でいう社務所のようなものは
当時は入って左側にあり
そこでシスターから
「奇跡のメダイ」をわけて頂いたのですが
いまは右側に綺麗なShopができていました。
そして肝心な目的場所
なつかしい奥の礼拝堂の扉を開けると・・・
えっ!
えっ!
ちょっと待って!

あれれ、場所を間違えたのかしら?
そこはどこまでも白く
淡いブルーも美しい佇まい。。。
嘘でしょう~?
だってあまりにも記憶と違い過ぎる!
やだ、混乱する。。
一旦、外に出て
深呼吸してから
落ち着いてもう一度入り直そう
そう思ってふらふら~っと外に出ると
シスターがいて話かけてくれました。
※正確に言うと
「???」の表情で腑に落ちない様子の
私の所まで来てくれたのです
シスター
「どうかされましたか?」
私
「礼拝堂がずいぶん綺麗になっていたので
驚きました。改装されたんですね」
シスター
「改装なんてしていませんよ」
私
「!!!!」
「前に来た時はとても古くて薄暗くセピアのイメージがありました」
シスター
「あなた、何年前に来たの?」
私
「8~9年前だったと思います」※正確には10年前でしたが。
シスター
「ここを改装したとしても
もう100年くらい前の話になりますよ」
私
「!!!!」
この時は
通訳の人も一緒にいてもらって
何度も確認をしながら伝えてもらったのだけれど
シスターは頑として
リフォームはしていない、と。
試しにショップの話をふってみたら
それは数年前に場所を左→右へ移動して作ったのだという。
確かに、それは記憶と一致。
でも礼拝堂は絶対にいじっていないとおっしゃる。
だとしたら、私が前に入って
祈りを捧げていたのは
いったいどこ・・・?
だいたい、狭かった礼拝堂が
とても広くなっていること自体
改装していないなんてありえない!
このブログを読んでいる方の中には
色々な場所へいっているから
思い出がすり替えられただけでは?と
思う方もいると思います。
私もそれを何度も思いました。
でもその礼拝堂であることは
「ある部分」をみて
やはり確かであることがわかったんです。
それは
「聖カタリナ・ラブレ」
彼女の聖遺体は当時も
祭壇のところにあって
クリスタルのケースのなかで
眠っているかのようなお姿を
拝むことができました。
当時のままのお姿。
※10年前はもっと間近に
触れるくらいの距離で見れたのですが
現在は奥に引っ込んでしまいましたが。
カタリナ・ラブレをご存知ない方もいると思うので
少々説明をしますね。
1876年に70歳で天寿をまっとうされた彼女のもとに
あるとき聖母マリアが出現され
「この印のついたメダイを配って
苦しんでいる人々を救いなさい」と
告げられたそうです。
当時、パリでは
疫病コレラが大流行して
多くの命が次々と失われ
恐怖が渦巻いていたそうですが
このメダイが配られたことで
疫病はピタッと終息に向かったと言われています。
そしてこれを持つ人々すべてに
守護と恵がもたらされるという話は
世界中に広まり
「奇跡のメダイ」となったそうです。
カタリナ・ラブレが亡くなって60年経った頃
礼副調査のため遺体発掘があったそうです。
そのとき
たったひとつ
彼女の遺体だけは
腐ることなくまるで眠っているかのようだったそうで
いまだに眠っているかのよう…。
このお姿は10年前もはっきり覚えています。
本当はお姿を写真に収めるのも
どうかと思ったのですが
みなさんにこの静かで凛とした
美しいエネルギーを届けたくて
思わず失礼しちゃいました。
※写真撮影はOKが出ています。

画像からでも十分エネルギーは届くと思います。
聖カタリナ・ラブレから
受けとったメッセージが
大きな力となっています。
そして、先ほどの
やり取りをしたシスターが真顔で
「あなた、では100年前に訪れたのね」
「タイムトラベラー」
笑いもせずにそういった言葉とあの表情
なぜか強く心に残っています。
ゴゾ島で偶然訪れた「奇跡の教会」
そして佇まいがすっかり現代風になっていた
パリの「奇跡の教会」
共にマリア様の出現により
不思議な出来事が起きたところですが
このパリの「奇跡のメダイ」は
ルルドの泉でマリア様と出会った
聖ベルナデッタが
最後までペンダントとして
身につけていたんだそうです。
「ルルドの泉」に行った時には
カタリナ・ラブレとベルナデッタが
メダイを通じて繋がっていたなんて
知りませんでした。
そして、今回訪れた
マルタ島の「マルタ騎士団」が
「ルルドの泉」でいまでも
奉仕を続けていることを知りました。
まさか、
思いつきで行った場所なのに
こんなに点と点で繋がっていたとは・・・
こんな面白さを味わえるのも
知識を入れないで
感覚に従って行ったからこそ。
これからもこの感覚を大事に
旅を続けていこうと思います。
いまでも私は絶対に
改装したと思っていますが。笑
旅ブログは今回でおしまいです。

長々とつきあって下さり
ありがとうございました
ゆっくり時間をかけながら
綴ってきた旅のお話ですが
それも今回でいよいよ最終回です。
最終回なので
今回のブログは少々ボリュームをもたせますので
お時間があるときにでも読んでくださいね。
では、行きます~

パリで訪れたある場所。
それは
「奇跡のメダイ教会」でした。
帰国して調べてみると
前に訪れたのは
ちょうど10年前でした。
その時の印象は
礼拝堂が狭い。
予算がないのか全体的に古びて、薄暗い。
質素な服をまとった黒人女性が
数人いて祈りを捧げていた。
手で触れられるほどの間近の距離で
聖カタリナ・ラブレのご遺体が見れた。
礼拝堂のなかは薄暗さもあって
全体的にセピア色の感じでした。
そして、目立たずに
ひっそりした佇まいだったことを覚えています。
でも、そこが安心感を与えてくれて
落ち着いたんです。
華美な礼拝堂よりも
質素なものの方が
個人的には好きなので。
古いセピア写真を見たときのような
温かく、なつかしい世界に
もう一度浸りたくて
今回また訪れることにしたのです。
老舗デパートボンマルシェの裏通り。
記憶をたどりながら
歩いていくと・・・
あった!
見つけた!

神社でいう社務所のようなものは
当時は入って左側にあり
そこでシスターから
「奇跡のメダイ」をわけて頂いたのですが
いまは右側に綺麗なShopができていました。
そして肝心な目的場所
なつかしい奥の礼拝堂の扉を開けると・・・
えっ!
えっ!
ちょっと待って!

あれれ、場所を間違えたのかしら?
そこはどこまでも白く
淡いブルーも美しい佇まい。。。
嘘でしょう~?
だってあまりにも記憶と違い過ぎる!
やだ、混乱する。。
一旦、外に出て
深呼吸してから
落ち着いてもう一度入り直そう
そう思ってふらふら~っと外に出ると
シスターがいて話かけてくれました。
※正確に言うと
「???」の表情で腑に落ちない様子の
私の所まで来てくれたのです
シスター
「どうかされましたか?」
私
「礼拝堂がずいぶん綺麗になっていたので
驚きました。改装されたんですね」
シスター
「改装なんてしていませんよ」
私
「!!!!」
「前に来た時はとても古くて薄暗くセピアのイメージがありました」
シスター
「あなた、何年前に来たの?」
私
「8~9年前だったと思います」※正確には10年前でしたが。
シスター
「ここを改装したとしても
もう100年くらい前の話になりますよ」
私
「!!!!」
この時は
通訳の人も一緒にいてもらって
何度も確認をしながら伝えてもらったのだけれど
シスターは頑として
リフォームはしていない、と。
試しにショップの話をふってみたら
それは数年前に場所を左→右へ移動して作ったのだという。
確かに、それは記憶と一致。
でも礼拝堂は絶対にいじっていないとおっしゃる。
だとしたら、私が前に入って
祈りを捧げていたのは
いったいどこ・・・?
だいたい、狭かった礼拝堂が
とても広くなっていること自体
改装していないなんてありえない!
このブログを読んでいる方の中には
色々な場所へいっているから
思い出がすり替えられただけでは?と
思う方もいると思います。
私もそれを何度も思いました。
でもその礼拝堂であることは
「ある部分」をみて
やはり確かであることがわかったんです。
それは
「聖カタリナ・ラブレ」
彼女の聖遺体は当時も
祭壇のところにあって
クリスタルのケースのなかで
眠っているかのようなお姿を
拝むことができました。
当時のままのお姿。
※10年前はもっと間近に
触れるくらいの距離で見れたのですが
現在は奥に引っ込んでしまいましたが。
カタリナ・ラブレをご存知ない方もいると思うので
少々説明をしますね。
1876年に70歳で天寿をまっとうされた彼女のもとに
あるとき聖母マリアが出現され
「この印のついたメダイを配って
苦しんでいる人々を救いなさい」と
告げられたそうです。
当時、パリでは
疫病コレラが大流行して
多くの命が次々と失われ
恐怖が渦巻いていたそうですが
このメダイが配られたことで
疫病はピタッと終息に向かったと言われています。
そしてこれを持つ人々すべてに
守護と恵がもたらされるという話は
世界中に広まり
「奇跡のメダイ」となったそうです。
カタリナ・ラブレが亡くなって60年経った頃
礼副調査のため遺体発掘があったそうです。
そのとき
たったひとつ
彼女の遺体だけは
腐ることなくまるで眠っているかのようだったそうで
いまだに眠っているかのよう…。
このお姿は10年前もはっきり覚えています。
本当はお姿を写真に収めるのも
どうかと思ったのですが
みなさんにこの静かで凛とした
美しいエネルギーを届けたくて
思わず失礼しちゃいました。
※写真撮影はOKが出ています。

画像からでも十分エネルギーは届くと思います。
聖カタリナ・ラブレから
受けとったメッセージが
大きな力となっています。
そして、先ほどの
やり取りをしたシスターが真顔で
「あなた、では100年前に訪れたのね」
「タイムトラベラー」
笑いもせずにそういった言葉とあの表情
なぜか強く心に残っています。
ゴゾ島で偶然訪れた「奇跡の教会」
そして佇まいがすっかり現代風になっていた
パリの「奇跡の教会」
共にマリア様の出現により
不思議な出来事が起きたところですが
このパリの「奇跡のメダイ」は
ルルドの泉でマリア様と出会った
聖ベルナデッタが
最後までペンダントとして
身につけていたんだそうです。
「ルルドの泉」に行った時には
カタリナ・ラブレとベルナデッタが
メダイを通じて繋がっていたなんて
知りませんでした。
そして、今回訪れた
マルタ島の「マルタ騎士団」が
「ルルドの泉」でいまでも
奉仕を続けていることを知りました。
まさか、
思いつきで行った場所なのに
こんなに点と点で繋がっていたとは・・・
こんな面白さを味わえるのも
知識を入れないで
感覚に従って行ったからこそ。
これからもこの感覚を大事に
旅を続けていこうと思います。
いまでも私は絶対に
改装したと思っていますが。笑
旅ブログは今回でおしまいです。

長々とつきあって下さり
ありがとうございました
