なんで祈るのだろう…
誰のために祈っているのだろう…
はっきりとした「祈りの目的」がある場合はわかるけれど
はっきりとした「これのため」というものがない場合
(私の場合は大抵そうなのだけど)
それでも気がつくと
自然に祈っている自分がいるのを感じます。

うさと服のさとううさぶろうさんとディジュリドゥ奏者のknobさん
祈りってなんだろう?
願いと同じように捉えている人もいると思うけれど
祈りと願いは、根本的に違う気がするんですよね。

願いって、心を込めるわけですけれど
祈りは、それらを超えたところにある気がするんです。
気持ちや心までも超えたところにある特別な領域に繋がる感じ。
心をどこかで感じとっているうちは
まだ祈りにはなっていない感覚があります。

千葉県「恩泉寺」でのご奉納

鈴木教覺住職と隆覚和尚の護摩焚きの迫力は圧巻でした!
祈りの手前には
心や想いがものすごく深くあるわけだけれど
いざ、祈りに入ったら
想いに引っぱられないくらい
ただただ中今にいて
太い軸というか、芯とともに「在る」ことが必要な気がするんです。
「いる」のではなく「在る」状態。
自覚している「小さな私」という存在は消えて
「大いなる私」と一つになっている感覚。

それを考えると、私はまだまだ祈りが出来ていない。

色々なシーンで形はしているけれど
どこかでいつも
想いや気持ちが微細に動くのを感じてしまいます。

無心になれるのは、ときたま…。
けれど、そんな私ですが
描いている時だけは間違いなく
きっと祈れていると思うんです。

この時だけは
誰かのためとか何かのためとか
そういう想いすらどこかに置いて
ただただ全力で無心で
黙々と描き続けている感覚があります。
「いる」のではなく「在る」という感覚。

私はまだまだ半人前なので
上手に祈りが出来ていないことは自覚しているけれど
絵を描くときだけは
間違いなく、祈っていると思える。
誰がどう思おうがかまわない。
アトリエで光を生み出すときは
祈りってきっとこういうことなんだろう…
そう思わせてくれる静寂なひと時になっています。
この梵字のような炎は住職の祈りの力
そんな祈りをこちらでも…。
7/23日に天河大辨財天社で
祝詞奏上とお話会を行って頂くことになりました。
(参加者の正式参拝もあります)
呼ばれた人しか行けないと言われている
弁財天のエネルギーが満ちている天河神社で
一緒に祈り合わせをしませんか?
ご興味ある方は私と一緒に
思い出の時間を過ごしましょう♪
1日で満席御礼に ありがとうございました
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