仙台へ行ってきました!
個人レベルの範囲ではありますが
気持ちを贈りに、震災年から
毎年会いに行っていた中野小学校の子供たち。
当時1年生だった子が
中学生になるまでは
毎年ささやかでも
見守り続けたいと思っていたのですが
以前159名いた児童も
いまは40名。
震災後に災害危険区域に指定されたため
新たに家を建てることができないこともあり
来春に閉校することになりました。
そこで5年目となる今回の訪問は
特別授業ではなく
子供たちの成長の記録とともに行われる
メモリアルイベントを見に行くというものに変更!
みなさんから頂いた気持ちの恩返しをしたいという
子供たちの想いがあったようです。
校長先生の計らいで
会場は最前列のど真ん中の席に座ることに。(汗)
その前に、楽屋へご挨拶…

新聞やTV局が
たくさん来ていました。


子供たちはたくさんインタビューを受けていました
そして、まさに本番直前。
こんな直前に楽屋にいていいのか
こちらがドキドキしました~

中野小が142年もの歴史がある学校だったことは
今回初めて知ったのですが
ずっと受け継いできた和太鼓も
震災でダメになってしまったそうです。
でも、あきらめずに
ひとつひとつ
時間をかけてお金を貯めて
少しずつ修復し続けたそうです。
大人たちのその想いに
頭が下がりました。
その大事に守られた和太鼓を打つ
子供たちの力強さに
いまをまっすぐに生きる
彼らの輝く生命力と重なり、思わず涙・・・
情けないくらい
たいしたことしかできなかったけれど
子供たちと少しでも関わって得たものを
次へ繋げていこうと思います。
素晴らしい時間をありがとう。
「おまけ」
子供たちがメッセージを言うときに
まっさきに私の名前が出たのでびっくり!
うそ~楽屋では誰も何も言っていなかったのに~
そして、May.Jも来ていました。
素晴らしい歌声でした♪
そしてそして
私の行う特別授業のヘルプを
震災時からずっとサポートしてくれていた
ひろみさん、まりこさんと
素敵なカフェで過ごせたことも
同じ体験を積み重ねてきたからこその
温かい時間でした~
またどうぞよろしくね~

これで終わりではなく
またこれから始めよう。
私ができることを探しながら。
個人レベルの範囲ではありますが
気持ちを贈りに、震災年から
毎年会いに行っていた中野小学校の子供たち。
当時1年生だった子が
中学生になるまでは
毎年ささやかでも
見守り続けたいと思っていたのですが
以前159名いた児童も
いまは40名。
震災後に災害危険区域に指定されたため
新たに家を建てることができないこともあり
来春に閉校することになりました。
そこで5年目となる今回の訪問は
特別授業ではなく
子供たちの成長の記録とともに行われる
メモリアルイベントを見に行くというものに変更!
みなさんから頂いた気持ちの恩返しをしたいという
子供たちの想いがあったようです。
校長先生の計らいで
会場は最前列のど真ん中の席に座ることに。(汗)
その前に、楽屋へご挨拶…

新聞やTV局が
たくさん来ていました。


子供たちはたくさんインタビューを受けていました
そして、まさに本番直前。
こんな直前に楽屋にいていいのか
こちらがドキドキしました~

中野小が142年もの歴史がある学校だったことは
今回初めて知ったのですが
ずっと受け継いできた和太鼓も
震災でダメになってしまったそうです。
でも、あきらめずに
ひとつひとつ
時間をかけてお金を貯めて
少しずつ修復し続けたそうです。
大人たちのその想いに
頭が下がりました。
その大事に守られた和太鼓を打つ
子供たちの力強さに
いまをまっすぐに生きる
彼らの輝く生命力と重なり、思わず涙・・・
情けないくらい
たいしたことしかできなかったけれど
子供たちと少しでも関わって得たものを
次へ繋げていこうと思います。
素晴らしい時間をありがとう。
「おまけ」
子供たちがメッセージを言うときに
まっさきに私の名前が出たのでびっくり!
うそ~楽屋では誰も何も言っていなかったのに~
そして、May.Jも来ていました。
素晴らしい歌声でした♪
そしてそして
私の行う特別授業のヘルプを
震災時からずっとサポートしてくれていた
ひろみさん、まりこさんと
素敵なカフェで過ごせたことも
同じ体験を積み重ねてきたからこその
温かい時間でした~
またどうぞよろしくね~

これで終わりではなく
またこれから始めよう。
私ができることを探しながら。
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。