ここのところ
神社参拝が続きましたが
参拝していると
たまたま拝殿のなかが
ご祈祷の最中だった
ということが結構あります。
以前訪れた「富士山本宮浅間大社」でも
手を合わせた瞬間に
拝殿から突然、祝詞が聴こえてきました。
そして中から
美しい衣装を身にまとった子供たちがぞろぞろと。

可愛い

帰ろうとすると
今度は前方から

渋いっ

何の行事があったのかは不明ですが
何か特別な日だったに違いないですね。
…って不勉強過ぎ!

静岡浅間神社へお詣りした時も
たまたま午前と午後に1回だけ
「大拝殿特別昇殿」に入れる
特別な日があったようなのですが
何も知らずにふらっと行ったのが
まさにその日。
幸運にも訪れた時間が
大拝殿参拝どんぴしゃの時間帯だったので
すんなり中に入ることができました。

大拝殿のなかは思った通りエネルギーが素敵でした。
ところで昔からあちこちの神社で
参拝しているように
思われているみたいなのですが
神社へ行けるようになったのは
10数年前くらいからなのです。
それより前は
神社はむしろ苦手な方でした。
気軽に入れない、入りたくない

そんな感じだったんです。
昔から海外では
教会や大聖堂を見つけては
そこで祈るのが好きで
よくしていたのに
日本の神社は別格というか…

エネルギーが全然違っていたんですね。
Openな神社なら平気なのですが
結界がある…と感じる神社もあったので
軽々しくそこへ
ふらっと入っては行けない、と思っていました。
OKの神社か、NGの神社か
その見極めを間違えると
怖いなと思っていたので
神社自体をどこかで
遠ざけていたのかもしれません。
それが…気がついたら
普通に入れるようになっていました。
むぅ~何でだろう…???
私のエネルギーが変わったのか?
神社という想念が変わったのか?
時代の波動の変化なのか?
いまさらながら思えば不思議~
そうそう、ここで初告白です。
無礼だと怒られそうですが
正直な気持ちを書きます。
私は神社の神様について
それがどんな神様であろうと
必要以上に奉ることはしていません。
神様が上で自分は下という解釈ではなく
「自分という神さま」に
神社参拝を通しながら
改めてご挨拶している感覚でいます。
それは神社に限らず
教会であろうとどこでも同じです。
そして参拝をしに行く場所は
今でもどこでもOKというわけではなく
ここならいいな、と思う直感に従っています。
その直感で訪れたひとつが
事任八幡宮(ことのまま)です。

この神社のことは
まったく知らなかったのですが
あることを検索中に
ヒットした(ことのまま)という
言葉と音の響きにつられて
そんな名前の付いた神社があるなんて!
と、行ってみることにしたのです。
単純


ここは本当に気持ちが良くて
ゆっくりといつまでもいれる感じでした。

「奥の院」がまた素敵なんです。

ずんずん上がっていった先にあります。

木漏れ日と鳥のさえずりを聴きながら
心地よい散策を続け、
「奥の院」に到着。
写真は撮っては行けない気がしたので
ごめんなさい。
イメージだけお伝えしますね。

木の根っこにちょこんとあるのです。
きっと誰もが大切にしたいと思うような
そんな佇まいをしています。
女性には特におすすめかも

ただどれだけ神社を巡っても
もっとも確かな聖地はどこ?と聞かれたら
「自分自身」だと答えたいです。
どんな時でも
たとえダメダメな自分を見つけても
自分が「聖地そのもの」である
という感覚を
忘れないようにしたいと思っています。
それはおごりとか傲慢で言っているのではなく
自分を甘やかそうとしているわけでもなく
そう思っていれば
おのずとそういう生き方を
選ぶようになっていく、
そう感じているからです。
どういう状態であっても
最高の聖地はいつだって自分、
そう言える自分で在りたいと思います。
☆☆★★★☆☆☆彡☆☆★★★☆☆☆彡☆☆★★★☆
ChieArt Shopでは
新作ミニ版画などを販売しています。
よろしければのぞいてみて下さいね

作品「至高の愛」※ 完売です。ありがとうございました。

作品「静穏な響き」

作品「生命の息吹」
★ChieArt Shop→こちら
神社参拝が続きましたが
参拝していると
たまたま拝殿のなかが
ご祈祷の最中だった
ということが結構あります。
以前訪れた「富士山本宮浅間大社」でも
手を合わせた瞬間に
拝殿から突然、祝詞が聴こえてきました。
そして中から
美しい衣装を身にまとった子供たちがぞろぞろと。

可愛い


帰ろうとすると
今度は前方から

渋いっ


何の行事があったのかは不明ですが
何か特別な日だったに違いないですね。
…って不勉強過ぎ!


静岡浅間神社へお詣りした時も
たまたま午前と午後に1回だけ
「大拝殿特別昇殿」に入れる
特別な日があったようなのですが
何も知らずにふらっと行ったのが
まさにその日。
幸運にも訪れた時間が
大拝殿参拝どんぴしゃの時間帯だったので
すんなり中に入ることができました。

大拝殿のなかは思った通りエネルギーが素敵でした。
ところで昔からあちこちの神社で
参拝しているように
思われているみたいなのですが
神社へ行けるようになったのは
10数年前くらいからなのです。
それより前は
神社はむしろ苦手な方でした。
気軽に入れない、入りたくない


そんな感じだったんです。
昔から海外では
教会や大聖堂を見つけては
そこで祈るのが好きで
よくしていたのに
日本の神社は別格というか…


エネルギーが全然違っていたんですね。
Openな神社なら平気なのですが
結界がある…と感じる神社もあったので
軽々しくそこへ
ふらっと入っては行けない、と思っていました。
OKの神社か、NGの神社か
その見極めを間違えると
怖いなと思っていたので
神社自体をどこかで
遠ざけていたのかもしれません。
それが…気がついたら
普通に入れるようになっていました。
むぅ~何でだろう…???
私のエネルギーが変わったのか?
神社という想念が変わったのか?
時代の波動の変化なのか?
いまさらながら思えば不思議~
そうそう、ここで初告白です。
無礼だと怒られそうですが
正直な気持ちを書きます。
私は神社の神様について
それがどんな神様であろうと
必要以上に奉ることはしていません。
神様が上で自分は下という解釈ではなく
「自分という神さま」に
神社参拝を通しながら
改めてご挨拶している感覚でいます。
それは神社に限らず
教会であろうとどこでも同じです。
そして参拝をしに行く場所は
今でもどこでもOKというわけではなく
ここならいいな、と思う直感に従っています。
その直感で訪れたひとつが
事任八幡宮(ことのまま)です。

この神社のことは
まったく知らなかったのですが
あることを検索中に
ヒットした(ことのまま)という
言葉と音の響きにつられて
そんな名前の付いた神社があるなんて!
と、行ってみることにしたのです。
単純



ここは本当に気持ちが良くて
ゆっくりといつまでもいれる感じでした。

「奥の院」がまた素敵なんです。

ずんずん上がっていった先にあります。

木漏れ日と鳥のさえずりを聴きながら
心地よい散策を続け、
「奥の院」に到着。
写真は撮っては行けない気がしたので
ごめんなさい。
イメージだけお伝えしますね。

木の根っこにちょこんとあるのです。
きっと誰もが大切にしたいと思うような
そんな佇まいをしています。
女性には特におすすめかも


ただどれだけ神社を巡っても
もっとも確かな聖地はどこ?と聞かれたら
「自分自身」だと答えたいです。
どんな時でも
たとえダメダメな自分を見つけても
自分が「聖地そのもの」である
という感覚を
忘れないようにしたいと思っています。
それはおごりとか傲慢で言っているのではなく
自分を甘やかそうとしているわけでもなく
そう思っていれば
おのずとそういう生き方を
選ぶようになっていく、
そう感じているからです。
どういう状態であっても
最高の聖地はいつだって自分、
そう言える自分で在りたいと思います。
☆☆★★★☆☆☆彡☆☆★★★☆☆☆彡☆☆★★★☆
ChieArt Shopでは
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よろしければのぞいてみて下さいね


作品「至高の愛」※ 完売です。ありがとうございました。

作品「静穏な響き」

作品「生命の息吹」
★ChieArt Shop→こちら
けれども今回のお話を聞いてとても納得し、やはりchieさんは信用出来る方だと安心できました。
私は神社の神様について
それがどんな神様であろうと
必要以上に奉ることはしていません。
神様が上で自分は下という解釈ではなく
「自分という神さま」に
神社参拝を通しながら
改めてご挨拶している感覚でいます。
わたしもこの感じ方が正しいと思います、わたしは書物やとある方のブログなどで、このような考えに出会いましたが、あなたの場合、心の底から湧き出てくるのでしょうか。